コラム
おなかを大切にすることは、健康で生活するための重要なポイントになります。おなかが発信するサインに耳を傾けることで、自分の体調についていろいろ知ることができます。
実は漢方医学では、おなかの所見からいろいろな情報をえて、治療の糸口にします。以前にもお話ししましたが、東アジアの伝統医学で、おなかの診察を行うのは日本だけです。中国の伝統医学である中医学や韓国の韓医学では、おなかを診察する方法はありません。
この日本独特の診察方法である「
一つ目は、「
二つ目は、「腹直筋のはり」です。みぞおちからへそにかけて、腹直筋がはっている場合は、肉体的あるいは精神的なストレスがあると考えます。
これを理解するには、あなたが「強い風に向かって歩くとき」を思い出すといいでしょう。台風の時のように強い風を前面にうけながら前進するとき、風による強い力をはねのけるために、体中の筋肉に力が入ります。このとき、腹直筋は張っています。
今度は、「風」を「ストレス」に置きかえてみます。あなたにストレスが加わっている場合は、知らないうちに前
このようにいろいろな情報を得ることができる腹診は、毎日の生活をする上で、自分自身の体調管理に役立てることができる知恵となります。朝起きたとき、布団の中でゆっくりとおなかを触ってみてください。自分の体をいたわる気持ちでおなか全体を触ってあげることで、気づいていなかった自分の体調を見つけることができますよ。
診療所や病院では、よく血圧を測ります。最近では、自動血圧計になっている施設が多いので、直接、脈を触れて脈拍数を測ることは少なくなっていると思います。
わたしも水銀式血圧計をつかっていた頃は、患者さんの腕にマンシェットを巻き、聴診器で動脈の拍動を聞きながら血圧を測定していました。と同時に、脈拍数も、手首にある橈骨(とうこつ)動脈(親指側にある動脈)の拍動を触れながら1分間の脈拍数を数えていました。
医学が進歩して、血液検査や画像診断(超音波検査、CT検査など)でいろいろなことがわかるようになると、医師や看護師が直接、患者さんの体に触れる機会が減ってきました。ときには、電子カルテの画面ばかりを見て、患者さんの顔すら見ない場合もあると聞いています。なんだか寂しさを感じますね。
さて、話がそれてしまいましたが、今回の「自分の健康を知る方法」は、脈で自分の体質を見分ける方法です。
体質は一人ひとり違います。たとえば、風邪をよく引く人、すぐにおなかをこわす人など、どちらかというと病気になりやすい体質の人がいます。一方で、夏ばてをしない人、重労働に耐えられる人など、病気にかかりにくい体質の人もいます。
自分の体質を知ることで、日頃の生活の仕方が変わってきます。風邪の季節には、早めに予防を心がけるようになったり、夏に冷たいものを飲み過ぎないように注意したり、などです。
漢方医学では、このことを「
では、自分の脈を診てみましょう。手首の親指側に拍動する動脈が触れるはずです。このときに、脈を診るコツは、
(1)深呼吸をして気持ちを落ち着けてからおこなう
(2)ゆっくり時間をかけて脈にふれる
――のふたつです。どうしても自分の脈が見つからない人は、3本の指でさがすといいでしょ う。
すぐに脈が見つかる人は、「実の脈」と診断します。動脈の血管の輪郭がはっきりとわかり、強く押さえても脈が消えることがなく、逆に押し戻されてしまいます。それは、ゴム風船のように弾力があり力強く感じられます。 なかなか脈が見つからない人は、漢方医学では「虚の脈」と診断します。「虚の脈」の人は、動脈の血管が触れにくく、強く押さえると脈が消えてしまいます。それはまるで水に浮いている葉を上から触れているように、少し力を加えてしまうとなくなってしまう感じです。
なかなか脈が見つからない人は、漢方医学では「虚の脈」と診断します。「虚の脈」の人は、動脈の血管が触れにくく、強く押さえると脈が消えてしまいます。それはまるで水に浮いている葉を上から触れているように、少し力を加えてしまうとなくなってしまう感じです。
すぐに脈が見つかる人は、「実の脈」と診断します。動脈の血管の輪郭がはっきりとわかり、強く押さえても脈が消えることがなく、逆に押し戻されてしまいます。それは、ゴム風船のように弾力があり力強く感じられます。
脈を診ることで、自分の体質を知り、日頃から体調管理をすることをおすすめします。「風邪は万病の元」と言います。「虚の脈」の方は特に、これからの季節、風邪を引かないように健康管理することが大切です。
朝起きて、歯磨きをしながらボーッと自分の顔をながめていませんか。昨日、会社でやり残した仕事や、今日一日の予定は考えたりしている人も多いと思います。なかには、前日、少し飲み過ぎと体調が悪い人もおいででしょう。
そんな朝のほんのちょっとした時間を活用して、自分の健康を知る方法をお教えします。それは、「
みなさん、まずは自分の舌を見てください。何色をしていますか。紅色、赤紫色、暗い赤色など様々だと思います。また、中には白くなっている人もいると思います。
漢方医学では、舌からいろいろな情報を集めます。その中で、日頃の体調管理に役立つ方法としては、(1)舌の表面の状態(2)舌のまわりの状態――のふたつを観察すると良いと思います。
(1)舌の表面の状態 舌の表面はツルツルしていたり、ザラザラしていたりします。注目するべき点は、表面にできる「こけ」です。こけは、舌の表面の細胞の変化を見ています。口腔 内細菌の繁殖に伴い、変化するとも言われています。いくつかの研究の結果からは、胃の状態と相関することもわかっています。 そこで、朝起きたら、歯を磨く前に自分の舌を観察してください。こけはありませんか。もし、こけがある場合は、胃炎などを起こしている場合がありますので、朝食をよくかんで食べたり、その日一日は暴飲暴食を控えたりといった体調管理をすると良いと思います。 |
(2)舌のまわりの状態 舌は、口の中で歯に囲まれています。寝ている間は、上の前歯の後ろあたりにあるのが普通だと言われています。ここで観察するのは、舌のまわりの状態です。舌の両脇の部分に、「歯のあと」がついていませんか。まるで指で押したようにあとがついている場合があります。 この歯のあとは、漢方医学ではふたつの意味があるそうです。ひとつは胃腸が疲れている場合、もうひとつはむくみがある場合です。 二日酔いで朝、胃がもたれ、顔がむくんでいるときなどは、歯のあとがはっきりとあらわれます。こんなときは反省をしてお酒を控える必要があります。 |
自分の健康を知る方法を学ぶことで、毎日の生活が元気に過ごすことができるようになります。自己管理を行えば病気知らずでいられると思います。漢方医学を生活に取り入れることで、楽しい毎日をお過ごしください。
「母は、がんの手術を受けたのですが、再発をして現在、抗がん剤治療を受けています。知人に勧められて高い漢方薬を飲んでいたのですが、経済的に続かなくなりこちらを受診しました」と、Rさんがお見えになりました。Rさんは40歳代の男性で、営業の仕事をしています。
「少しでも体にいいものを食べてもらおうと、食事にも気をつかっています。病院から言われたことは、しっかりと守るようにしています」とびっしりとメモされたノートを見せてもらいました。
Rさんとお母様はいつも一緒に来院され、二人三脚でがん治療に取り組んでいらっしゃいました。そんなRさんと何度もお会いするうちに、わたしは心配になってきました。「看護疲れ」のためにRさんの表情がだんだんとなくなってきたからです。
母を思う息子の気持ちは強いのですが、仕事と看護を両立させながら続けてきたことで、Rさん自身の負担が大きくふくれあがってしまったわけです。
がん治療は本人にも家族にも大きな負担がかかります。その負担は、単に肉体的なものだけではなく、精神的、経済的、社会的と多くのものが重なってきます。Rさんのように、母親の世話を一身に引き受けていると知らないうちに自分自身が病に侵されてしまいます。
わたしはRさんの健康が心配になり、「ねぇ、Rさん。お母さんのことも大切だけれど、あなた自身の体も気をつかってあげないといけませんね」と、漢方治療をすすめました。精神的に疲れ、体力が徐々に衰えはじめていましたので、「補中益気湯(ほちゅうえっきとう)」を内服してもらうことにしました。
補中益気湯は、夏ばてに使われる漢方薬です。しばしば、がん治療にも応用され、広く使われています。
お母様の診察がすんだ後、Rさんも私の診察を受けるようになりました。夏の暑いときは、日焼けがひどく肌が真っ赤に腫れ上がってしまう体質でしたので、「黄連解毒湯(おうれんげどくとう)」を内服してもらいました。秋になり、急に涼しくなったとき咳(せき)が止まらなくなってしまったので「麦門冬湯(ばくもんどうとう)」を処方させていただきました。
そうやって治療をしながら、少しずつ看護でたまった肉体的負担を軽くすると同時に、精神的負担を診ることも重視しました。単に体の悪いところを治す漢方薬を処方するだけでなく、がん治療への不安や疑問からくる精神的負担を軽くすることが大切だと考えたからです。できるかぎりRさんのお話を聞くようにしました。
そうやって1年が過ぎたある日、Rさんのお母様は天寿を全うされました。
さびしそうにひとり診察にお見えになったRさんから「わたしが元気で看護できたから、最後まで母を
多くのがん患者さんを支える家族の方が、元気で健康でなければ、がん診療は成り立ちません。いっしょに生活をしている家族へも漢方医学が届くように心から願っています。
これまで、糖尿病による手足のしびれや、腰痛からくる下肢神経痛に使われてきた「牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)」が、西洋医学では治療困難だった、がん化学療法による
とくに卵巣がんや乳がんに対するがん化学療法に使われているタキサン系抗がん剤(パクリタキセル、ドセタキセルなど)やプラチナ製剤(ネダプラチン、オキサリプラチン、アブラキサンなど)によって高率に発生する副作用の末梢神経障害に、牛車腎気丸が併用された臨床経験から広がりました。
先日、乳がんのがん化学療法を1年前に受けていた薬剤師の方から相談を受けました。彼女は、大学で
がん化学療法が始まり、手足のしびれや痛みをすでに感じている場合でも遅くありません。牛車腎気丸と附子を内服すれば、多くの方は症状が数週間で軽くなってくるはずです。とくに冷えることで悪化する症状にはてきめんです。
基礎研究から、多くの漢方薬の作用が徐々に解明されてきています。その中でもがん化学療法に伴う副作用軽減目的に、これまでの西洋医学では治療困難であったものに、漢方薬が使われるようになりました。
CPT-11(イリノテカン 商品名トポテシン、カンプト)の遅発性下痢に半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)、CDDP(シスプラチン 商品名ブリプラチン、ランダ)による食欲低下に六君子湯(りっくんしとう)などが代表です。
しかし、大切なのは、「薬の使い方」です。わたしの経験から、がん化学療法による末梢神経障害には、牛車腎気丸にかならず「附子」を一緒に内服してもらうことが大切だと考えています。ただやみくもに漢方薬を内服していればいいのではなく「コツ」があるのです。それが、牛車腎気丸に附子を加えて内服する方法です。最近の研究でわかってきたことから、牛車腎気丸は神経を保護するように働くため、末梢神経障害がおこる前から牛車腎気丸と一緒に附子を内服してもらうのが「コツ」のようです。
そして、「おもてなし」の心で治療をすることが大切です。
漢方薬を西洋医学と一緒に使うには、ひとりひとりのがん患者さんへ細やかな心遣いが必要になります。ガイドライン通りの治療ではなく、それぞれの医療従事者が責任を持って行うことが重要になります。がん治療で悩んでいる多くの患者さんへ、漢方医学が届きますように、心からお祈りしています。
先日、うれしいことがありました。それは、わたしはこれまで、抗がん剤の副作用で指先のしびれや痛みが出る
さっそく、横浜でがん診療を行っている知り合いの医師へ確認したところ、乳がん、卵巣がん、大腸がんに対するがん化学療法を受ける患者さんへ積極的に「附子」が使われているとのこと。「末梢神経障害が発生する治療のときは、必ず牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)に『附子』を加えて投与しています。すると、末梢神経障害を防ぐことができます。現在では、胃がんなどほかのいくつかの抗がん剤にも応用して使うようにしています」とのことでした。わたしは、まさに「我が意を得たり」と小躍りしてしまいました。
以前にもこのブログでお話ししましたが、「附子」はトリカブトが原材料ですから医師でも患者さんへ処方するときは
いま、私が日々思い描いていた「がん専門医による漢方治療」が着実に広がり始めています。
そして今年も「漢方キャラバンセミナー」が始まりました。これは、第3次対がん総合戦略研究事業の一環として、日本全国のがん拠点病院の医療従事者を対象に開催しています。とくに今年は医師ばかりでなく薬剤師、看護師の方にもご参加いただけるようになりました。札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡で11月まで続きます。
がん診療にたずさわっている医療従事者の皆さんに漢方の知識が広がり、困っているがん患者さんによりよい医療を提供できるようにしていきたいと思います。
「先生、肺の手術後、ずっとお
Qさんは、進行肺がんで2年前の秋に右肺を手術された50代の男性です。初めてクリニックへお見えになったとき、手術の影響で右腕を動かす時に痛みが走るため、暗い顔をして診察室へ入ってこられました。「抗がん剤をやると食欲がなくなるんだけれど、僕の場合は、放射線も使ったので体もだるくて、なんとか毎日を過ごしている状態なんです」と、壮絶な闘病生活を話していただきました。
「手術を受けた後、砂をかんでいるように食事がおいしくなくてね。家族には申し訳ないんだけれど、どうしても食事を残してしまうんですよ。自分でも食べなければいけないことは、わかっているんだけれど…」とつらい毎日を送られている様子でした。
「食べられないだけじゃなくてね、下痢もしやすくてお腹に力が入らないんだよ」と、
そこで、啓脾湯(けいひとう)を朝1回、飲んでもらうことにしました。啓脾湯は、「やせて、顔色が悪く、食欲がなく、下痢の傾向がある人」に使われる漢方薬です。
「今津先生はたった1包しか処方してくれないの? ぼくはいろんな漢方専門の診療所で漢方薬をもらったことがあるけれど、もっとたくさん出してくれたよ。今津先生、薬の量が少なすぎないですか。こんな少しじゃ効かないんじゃないの」と疑心暗鬼な様子のQさんに、「いやいや、Qさんの状態では、元気な人が飲む量だと多すぎると思いますよ」と説明をして、なんとかご納得いただきました。
それから2週間後、Qさんが再びクリニックへお見えになりました。「先生にはだまされたね。本当に、1包だけでお腹がすくようになるなんて。不思議なこともあるもんだ」とうれしそうにお話しされました。
初診から1か月が過ぎたとき、Qさんが「最近、右肩を動かしてもいたくなくなったんだよ。手術後2年、ずっとリハビリを続けてきたかいがあった」とうれしそうにお話しされました。啓脾湯を飲み始めて、食欲が増し筋力がついてきたためだろうと考えました。
今回、たった1包で効果が出たのは、どうしてでしょうか?
たしかに西洋薬にも漢方薬にも、量を増やすことで作用が強くなるものがあります。しかし、身長や体重の違いで量は増やしたり、減らしたり調節する必要があります。今回のQさんのように体力が低下しているときには、薬の量を調節することも大切になります。とくに消化器症状(食欲低下、下痢など)がある場合は、少ない量の薬でも十分に薬の効果が発揮される場合もあります。
Qさんの場合、長い闘病生活のために胃腸が疲れていると考えました。この場合は、胃腸を整えることが先決です。こんなときは慌てず、少ない量の薬を確実に内服してもらうことが大切だと考えます。
第51回日本特殊教育学会が、きょう30日から明星大学日野キャンパス(東京都日野市)で開かれています。わたしも9月1日に開かれる「発達障害における身体症状の諸相と支援 ―医学・薬学と特別支援教育のコラボレーション―」というシンポジウムに参加させていただく予定です。この日本特殊教育学会に参加されている方は、障害のある人の教育や、非行・行動上に問題のある子どもの矯正教育、心理、保健・医学、リハビリテーション、福祉など幅広い分野の研究と実践に携わっている専門家たちです。
わたしがこの分野とかかわることになったのは、Pさんとの出会いがきっかけです。Pさんはアスペルガー症候群と診断されている30代女性です。
昨年の秋、Pさんが「原因不明の痛み」で、わたしの外来にやってきました。「朝の体の痛みについて、これまでいろいろな先生に診てもらい、様々な痛み止めを試してきました。しかし、わたしの痛みは消えません。できる限りの検査を受けたのですが原因はわかりませんでした。先生方はみなさん『わからない、わからない』を繰り返すばかりで、いっこうによくなりません」と切実な思いを一気にお話しになりました。
残念ながら、現代医学では、検査などで診断ができない病気は「原因不明の病気」に分類されてしまい、治療手段もありません。Pさんの痛みも同じように、大学病院や総合病院での検査を受けても原因がつかめず、手の施しようがない病気と判断されていました。
そこでわたしは、漢方医学の診断方法に頼ることにしました。漢方医学では血液検査やレントゲンなどを使わないでも、診断から治療を行うことができます。
日本の漢方医学では、中国の中医学や韓国の韓医学など他国の伝統医学にはない「
2週間後にクリニックへお見えになったPさんは、「これまでは朝起きて、体が痛いと思うことがありましたが、加味逍遙散を飲み始めてからはあまり感じなくなり、頭痛薬も1回しか使いませんでした」とうれしそうにおっしゃいました。
この加味逍遙散という薬は、気分の不調を伴った体の具合の悪い場合に用いられます。Pさんは長年、ご自身の体の不調を訴えても理解してもらえず、思い悩み、苦しんできました。心身ともに疲れ、感情穏やかに過ごせず、体のあちこちが痛んでいたことから、この薬が効力を発揮したのだと思います。
今回の経験から、今の医学ではまだ治療の糸口がつかめない病気でも、漢方医学でなら、なんらかの対応策を練ることができるものだと考えるようになりました。
抗がん剤を使ったがん化学療法は、外来通院で行う点滴治療が中心です。内服薬との併用もありますが、1回の治療に数時間が必要で、何種類かの薬を組み合わせて行います。医学の進歩で、治療成績も向上しています。
しかし、抗がん剤は、その恩恵を受ける代わりに、副作用という試練がついてきます。人によって程度に差はありますが、副作用は必ず出現するといってよいでしょう。
中でも、点滴治療の際に起こる「血管痛」に悩まされている患者さんがたくさんいらっしゃいます。抗がん剤治療を受けているNさんに聞いたところ、点滴が始まりしばらくたつと徐々に血管に沿って痛みが走るのだそうです。場合によっては、しこりになったり黒ずんでしまったりと、かなりひどいこともあるそうです。
「病院の看護師さんに聞いても、どうすればいいのか、教えてくれないんだ」とNさんはおっしゃいます。「先生の漢方薬で治してもらえないだろうか」と血管に沿って色素が沈着した腕をさすりながら話されました。
わたしは「いろんな薬が血管の中を流れるときに、血管の内側がやけどをするために痛みが起こるんです。血管炎を起こしているのです。やけどの程度にもよりますが、ひどい場合は、血管が焼けただれてしまい、黒くなったりしこりになったりします。残念ながらこうなったら、もう、元には戻りません」と説明しました。
がっくりと肩を落とし、悲しそうな顔をしているNさんにわたしは、「今後、抗がん剤の治療を受けるときに誰にでもできる簡単な予防方法がありますから一度、試してみてはどうですか」と次のような提案をしました。
この方法を行うには、まず、血管の仕組みを知る必要があります。体の中を走る血管は大きく動脈と静脈に分かれます。点滴をする血管は、静脈です。静脈を流れる血液は手足の末端から心臓に向けて流れていきます。心臓の力で流れる動脈と違い、静脈の血液は静脈の周囲を取り囲む筋肉の働きで流れるようになっています。このため、長時間同じ姿勢をして静脈の中の血液が流れないままになっていると、固まってしまうことがあります。この固まった血液が肺の血管につまる病気が深部静脈血栓症、別名エコノミークラス症候群です。
つまり、静脈の血液はじっとしていると流れがゆっくりになってしまいますから、飛行機や電車などに長時間座ったままの姿勢でいる場合は、定期的に足首を動かすなどの予防策が必要となるわけです。
そこで、抗がん剤を点滴するとき、患者さん自身で意識的に点滴している腕の筋肉を動かしてみてください。すると停滞していた静脈の中の血液が動き、血管のやけどが軽くなります。やけどが軽くなれば血管痛も軽くなりますから、血管炎の予防につながります。
じっとわたしの話を聞いていたNさんは、「なんでそんな簡単な方法をもっと早く教えてくれなかったんだろう」と話しながら、「今度、抗がん剤治療を受けるときに早速やってみますよ」と
がん治療で起こるいろいろな問題は、漢方医学や漢方薬を使わないで解決できることもあります。患者さんたちに元気になってもらう方法をこれからも頑張って考えていこうと思います。
わたしが医師になって1年目、25年前の春に出会った患者さんの話です。その方は、食道がんの術後で、糖尿病と難治性の感染症にもかかっていた70歳を超えた老婦人でした。当時では珍しく髪を紫色に染め、ひとり個室に入院されておいででした。
彼女の名前はマドセンさんといい、デンマークの方でした。入院期間が長く、病棟の看護師さんが声をかけても笑顔ひとつ見せないために、「気むずかしい人」という評判でした。病室に訪れる人はなく、いつも個室の中でひとり本を読んでいらっしゃいました。
のどを摘出したため声を失っていましたので、わたしが初めて採血のために静かな部屋の中へ入ったとき、やせ細った顔に大きな目がキラリと光り、すこし緊張したことを覚えています。
当時、フレッシュマンだったわたしの一番の仕事は、採血と点滴の確保でした。学生時代には練習したことがなく、技術を実地で学ぶしかありません。注射針を血管にうまく刺す技術は難しく、点滴だけで数時間がかりだったこともあります。1度でうまく採血ができたときは、心の中で「やった!」と自信がつきましたし、失敗したときには心底がっかりする毎日でした。
若い男性は血管が発達しているので採血が容易ですが、ぽっちゃりした女性は血管がみつかりにくいものです。マドセンさんは、それまでの治療の歴史を語るかのように腕にはたくさんの注射の痕があり、血管が硬くなり皮膚も黒ずんで、採血をするための血管が見つかりにくい「フレッシュマン泣かせ」の患者さんでした。しかし、そんな「フレッシュマン泣かせ」のマドセンさんは、治療のためには毎日、採血と点滴が欠かせないのです。
そこでわたしは血管を探す間、色々な話をして時間を稼ぐことにしました。偶然ですが、小学生の頃、デンマークのコペンハーゲンにある施設で1か月、世界中の子どもたちと一緒に過ごすCISV(Children’s International Summer Villages)に参加した経験があったので、チボリ庭園や人魚姫の銅像などの話を一方的にマドセンさんに聞いてもらいながら、懸命に血管を見つける毎日を過ごしていました。
最初は目をつむって全く無関心だった彼女でしたが、1週間がたち、2週間がたったある日の朝、なかなか上達しないわたしのためにマドセンさんが大きなプレゼントを用意してくれていました。自分の腕と足に採血ができる場所をすぐに見つけられるようにマジックでマークを書いてくれていたのです。腕の内側や膝の裏など、体のあちこちに書かれたマークを
それまで目も合わせてもらえなかった彼女に、優しいまなざしをかけてもらいながら、その日は1回で採血ができました。次の日も、その次の日も、マドセンさんは新米のわたしのために血管の場所を教えてくれました。そのお陰で、どうやって血管を見つけ、どんな角度で皮膚を引っ張り、どうやって注射針を刺すと痛くないかをマドセンさんから
マドセンさんからは、単に注射針を刺す技術だけではなく、患者さんとの付き合い方の基本までも学ぶことができたと思っています。
その年の夏、研修中だったわたしはマドセンさんの担当を外れることになりました。その後は忙しいフレッシュマン生活が続き、再びマドセンさんに会うことはなく、お礼を伝えることはできませんでした。
今のわたしのクリニックにいらっしゃる患者さんの中には、正直なところ、気むずかしい方もおいでです。そんなときは、マドセンさんを思い出し、じっくりと時間をかけて心を開いてもらえるのを待つようにしています。マドセンさんに教えてもらったこと、いまも大切にしています。